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  • No.869914
    匿名

    爺ちゃん婆ちゃんから聞いた戦争の話を語り継ぐスレ

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    匿名

    毎日芋食べてた

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    匿名

    割と農家だったから豊かだった

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    匿名

    引き揚げ船に乗る時に高級な指輪をボロボロな服の中に隠して帰った。
    京城では裕福な家のお嬢様だったけど引き揚げの時に財産のほとんど置いてくることになったって。

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    匿名

    戦争の被害があんまりない地域だったから大丈夫だったって言ってた

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    匿名

    ドロップと間違えておはじき食べた

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    匿名

    母方のじいちゃんはシベリア抑留された。
    父方のじいちゃんは満州にいった。

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    匿名

    空爆の音と光を思い出すから花火は見られない
    って昔言ってたのを思い出した。

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    匿名

    >>6
    お二人とも帰還できたのですか?

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    匿名

    じいちゃんには会ったことがない母も顔を覚えてない。青い海に散ったらしい。父方は病死。

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    匿名

    え?ここでじいちゃん、ばあちゃんの戦争の話をしてる人って、40代後半以上だよね?
    私は50だけど祖父が衛生兵だったという話を母伝手で聞いただけ。

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    匿名

    >>10
    40前だよ。50歳なら両親から戦争の話聞いててもおかしくない年齢だよ。

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    匿名

    家族がバラバラになる。
    あんなに恐ろしい事はない。

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    匿名

    私の亡き祖父はフィリピンで食糧倉庫の番兵だったそう。
    食糧の奪い合いの醜い争いも見たし、戦争で何より飢えが辛くて地獄だったと言ってた。
    孫の世代に語り継がなければと、戦時中の手記を亡くなる前に残してくれました。
    私は40前半だけど祖父母は戦争体験者だよ。
    私の両親は戦後生まれだけど。

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    [14]
    匿名

    母方の実家は割と大きな地主で、防空壕をいくつも掘れる山があった。
    今はもう無い。

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    匿名

    祖父は広島の原爆で死んだ。
    骨もなにも残ってない。
    お墓は空っぽ。

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    [16]
    匿名

    戦争なんて良いことはない。平和が一番。
    食べ物は好きなだけ食べろ。
    その代わり、絶対に残すな。

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    [17]
    匿名

    私の祖父は中国行ってた。当時の写真いっぱい見せてもらったよ。

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    [18]
    匿名

    祖父がシベリアに抑留されてた時食料も満足になくて、畑のジャガイモを盗んでたらしいんだけど、現地の奥さんたちが密かにかくまってくれたらしい。
    もっと話し聞きたかった。

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    [19]
    匿名

    ここ読んで、戦争なんて二度としちゃいけないと思った。

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    匿名

    長崎の原爆のキノコ雲が山の向こうに見えたって。

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    匿名

    私の大伯父が南方激戦区からの帰還兵。
    捕虜になっていたため終戦後もしばらく帰って来なくて、葬儀も行ったらしい。その後半年~一年ほど経った頃にようやく帰国したそう。
    現地でのことはほとんど語らなかったそうだ。
    40歳前後で亡くなっていて遺影でしか見たことはないんだけど、なかなかのイケメン。

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    [22]
    匿名

    周りいちめん焼け野原
    熱くて川にみんな飛び込んで死んだ

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    [23]
    匿名

    >>8
    帰還してます。
    母方の祖父から直接きいたことはないですが、なくなる数年前におじからききました。
    父方の祖父は私が小1のときになくなったので、おじおばから聞きました。教員をしてたので兵隊としてではなくらしいです。

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    [24]
    匿名

    父の話。
    南方戦線で、部隊の移動は自転車だったそうな。しかしどうしたってパンクするので、脇にそれて直していると、仲間たちがどんどん先に行ってしまう。
    ようやくパンク直して走っていると、さっき
    抜かしていった仲間が、道端でパンク修理している。
    結局部隊に合流するのは誰も同じような時間になる。
    中学で落ちこぼれていた私に、父が話してくれました。

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    匿名

    >>10
    私30だけど……

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    匿名

    学校には通ってない

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    匿名

    昔は食べ物がなかった。
    食べ物を粗末にするな。残すな。

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    匿名

    叔父はあと数日戦争が長引いたら回天に乗る予定だった。
    祖父亡き後家長として母や叔父叔母を育ててくれ今も元気に畑を耕してる。
    食べ物を粗末にすると雷を落とします。

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    [29]
    匿名

    >>15
    骨も残らなかったのですね。。
    ご家族は本当に辛かったでしょうね。涙

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    匿名

    母方祖母が女学生の頃、空襲で焼夷弾が落とされまくり焼け野原になった
    家族全員逃げたけど、焼夷弾が蔵を直撃して、掛け軸や壺などちょっとしたお宝を全部失った

    戦争が終わって焼け跡に家を建てたんだけど、祖母の兄が、防空頭巾の若い女性が立っているのを見て、驚いて話しかけようとしたら消えたんだって
    それが空襲の日、時間だったらしい

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    [31]
    匿名

    戦後に河原で遊んでいた兄弟が焼夷弾の不発弾を見つけて何かを知らずに火にかけて爆発して命を落としたって。
    戦争中だけじゃないの。傷はいつまでも残るんだって祖母が言ってた。

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    匿名

    母方の祖父が兵隊さんとして中国行ってた。母が生まれた直後に召集され、駅で泣いてる赤ん坊(私の母)と嫁さん(私の祖母)に見送られなが出兵したと祖父から聞きました。

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    匿名

    子どもを持つ前に亡くなった方も多くいたけど、その方たちのことを語る孫はいないんだよね…

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    匿名

    もう死んでる人を使って
    人を刺す練習をさせられたと聞いた。
    今でも刺した感触が忘れられないと
    言っていた。
    夢にも出てくると。

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    匿名

    祖父は南方の激戦区に行って食べる物は何も無く草でも何でも食べた。死んだ仲間も食べた。生きるためにしかたなかった。ととても辛そうな顔で言っていました。
    トラックにいる時に爆撃されて耳が千切れ上半身は酷い火傷を負って数年間生死不明でした。

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    匿名

    祖父はシベリアにも満州にも行った
    当時の写真をたくさん見せてくれた
    爆弾が降ってきたら穴に頭から突っ込んで凌いだとか、一日ズレていたら乗っていた船が爆撃で沈没するところだったとか

    祖母は槍を突く訓練をしていたって

    特に祖父は青春時代を戦争に捧げたから認知気味になってからも戦争の話だけはしっかりしてた

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    [37]
    匿名

    おばあちゃんからきちんと聞けば良かったなと思うけど、たくさんお話してくれたおばあちゃんが言わなかったのだから、戦争はやはり辛い記憶なんだとも思う。
    ちなみに30です。
    おじいちゃんおばあちゃん長生きの方であれば20後半の方でもお話聞いてると思います。

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    匿名

    我が家は高台にあって、その頃は田舎だったから空襲を免れたけど、市内の大空襲が見えたと言ってた。B29の音と爆撃音の音(焼夷弾の音)が凄まじかった、と。

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    匿名

    >>10
    40前半だけど歳離れた兄いるから戦争の話は両親から聞いてるよ

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    匿名

    芋すら食べれなくて芋のツル食べていた

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    [41]
    匿名

    昔、小学校の先生から聞いた話。
    先生の親御さんの体験だったと思う。
    北関東住みで周りを山に囲まれているけれど東京方面だけ山がなくて、東京大空襲の日は平地が真っ赤に染まっているのが肉眼でもわかったんだって。
    どれだけひどい空襲だったのか、本当に怖いと思ったよ。

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    匿名

    祖父が戦時中、朝鮮人に毛布や記帳な食糧を奪われたから平昌オリンピックが韓国であるのが、嫌だと言ってた。

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    [43]
    匿名

    戦時中のアニメは白黒で、YouTubeフクチャンの潜水艦の♪海の底から うまそうな匂いがするわ 潜水艦の台所の揚げたお芋はドライ型♬と歌ってる祖父。

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    匿名

    祖父が召集されて汽車で行ったけど家にある金物を持ってこいと言われて取りに帰ってきたんだって。大工だった祖父はのこぎりとかノミとか持っていったみたい。そういう大事な商売道具もみんな溶かされて爆弾や兵器になっちゃったんだね。

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    匿名

    良いスレだね。
    主さんありがとう。

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    匿名

    集団疎開してたとか
    竹槍?みたいな訓練をしたとか
    千人針したとか
    すいとん食べたとか
    やっぱり子供だったからひもじいのが辛かったって
    今は食べ物いっぱいあり買いすぎたり期限過ぎて捨てちゃうんだけど
    本当に亡くなった人に悪いなって思うって言ってた。
    物も使い捨てだしね、壊れてなくても捨てちゃうしね
    直すよりそっちの方が安いからね。

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    匿名

    祖母は都会に住んでて空襲に遭い子供を連れて疎開した。祖母の妹がお金持ちの妾さんで広い土地をもらってて頼って行ったみたい。そこが今の実家。子供のときは田舎で嫌だったんだけどそんな話を聞いたのを思い出して生きるために知らない土地に逃げて大変だっただろうと思った。

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    匿名

    高校の爺ちゃん先生が言っていた戦後の苦悩。
    その先生は戦争経験者で身体に銃弾が残っている人。
    戦時中の詳細は聞く機会なかったけれど、
    戦後に思想が一気に変わって切替わるまでが苦悩だったみたい。
    その先生は自分が死んだら検体になって若者の医療に役立ちたい。
    って言っていた。

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    匿名

    友人のお母さん。
    空襲が増えたので地方に疎開。終戦後戻って来たら知らない人たちが勝手に掘っ立て小屋を建てて住んでいたそう。
    家の周りも役所も焼けていて、はっきりとした区画も不明。戦うにも相手が集団だったので女性だけでは相手にされず、疎開していた土地に戻り今の家を持てるくらい頑張ったって。
    元疎開先で知り合った旦那さんは早くに亡くなったので友人は母の手一つで育てて貰ったと。

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